小さな花のリングの話。




ビーカーに入った透明な液体を眺めながら小麦色の髪の少女が呟いた。

「――昔、小さな王国の王女が、最愛の騎士に思いを届けるために作った……んだっけ?」

「それは逸話の方だ。ついでに言うと、その話は”王女が騎士に手袋を送って、騎士が王女に旅の無事を祈って送った”だな」

ビーカーを魔法陣の描かれた羊皮紙の上に乗せながら黒い服の男が小さく肩をすくめる。

「所説はあるが、今のところ最古は『エルガ・ド・リエル』の第四書、《濃霧の日の手紙》に短く記述がある」

「『エルガ・ド・リエル』? たしか、師匠に言われて読んだことがあるわ」

古代魔法学の専門家として、高名だった少女の師匠に当る人物は、教え子が魔法学以外の学問をおろそかにする事を許さなかった。

いくら専門分野に秀でて居ても、「回りの分野や、一般的な学問、基礎をおろそかにすることは、何より人として視野が狭くなる」と言うのが彼女の師匠の言い分だった。

その言葉の意味を、小麦色の髪の少女はいまだに理解しているとは言い難いのが実情ではある。しかし、駆けだしとはいえ”善き魔法使い”として「知らないこと」と「知ろうとしないこと」に大きな差がある事は解っているつもりだ。

しばらく考え込み、少女は《濃霧の日の手紙》の最初の一節を思い出した。

「”今朝も霧が深い。だがようやく、約束していた小さな花が咲きそうだ。霧の中で仄かに光るこの花の美しさを書き表せない私の語彙と羽ペンを笑って欲しい。”」

無名の魔術師の書簡集の一節である。魔術書としての価値はほとんどない古代史の史料にすぎない。が、少女は真面目に読んでいたらしい。

「……って、この花の事なの?」

「前後の書簡が紛失しているが、神聖王国最盛期の記録だからな。当時の一般的な魔法陣や術式と”これ”の理論術式から考えると、”おそらくそうであろう”というのが専門家の見解だ。古代魔術式の研究者も可能性を否定する材料は無い、という立場が多いな」

それはつまり、推測に対して現状では矛盾点が無い、ということであり、新たな史料が発掘されない限り定説の一つとなっている、と言う事でもある。古代魔術の研究者は気難しい性格の人間が多いが、それでも研究者故に利にかなっていればそれを不必要に貶めるようは少ないのが、特に古代魔術研究者の長所であり、短所なのかもしれない。

「ふぅん……」

そんな研究者の立場や考え方などまるで興味の無い少女が頬杖をついてビーカーの中を覗き込む。

「その魔法使いは、何のために作ったのかしら?」

「……。さあな」

ビーカーの上で黒い服の男が指先を小さく擦り合わせると、金と銀の混じった光が粒子になって透明な液体に落ちた。

そのままさっと手を振るとビーカーの液体が一瞬で乳白色に濁る。

「ここから先はお前の仕事だ。俺がやると魔法が濁るからな」

「ありがとう。これ、ね……」

ビーカーから一歩引いた男が腕を組むと、少女がスカートのポケットからまるで飾り気のない古い指輪を取り出す。

それでも元は輝いていたのだろうが、今はずいぶんとくすんでしまっている。内側に掘られていた浅く細かな文字は半分ほどが見えなくなっている事を少女は知っていた。

「……私なんかが、いいのかしら……」

不安げに呟く少女に、男が小さく笑った。

「そう思うなら、せめて良い物を作れ。”善き魔法使い”としてな」

「う、うん」

ぎゅっと両手で祈るように指輪を包みこみ、大きく深呼吸をする。


――善き魔法よ。


短く祈るように指輪に魔法を込める。そして、そっと乳白色の液体に指輪を落とした。


落された指輪は、液体の中をまるで時間の流れが遅くなったかのようにゆっくりと沈み始めた。

変化は少女が思っていたよりもすぐに現れた。乳白色の液体がちらちらと小さく輝き、分離し始める。その様子は、ちょうど酢と油を混ぜた調味料の様にも見えるだろうか。

そのままゆっくりと液体の中を沈む指輪の回りに乳白色の小さな輝きが集まり、指輪の一点を中心に小さな結晶が現れた。

見降ろすビーカーの中で、少なくとも少女にはそう見えたのだ。

「……」

それはほんの瞬きほどの出来事だった。

小さな結晶の回りに、花弁の様な薄く繊細な……しかしとても小さな結晶が花開くように層をなして形成される。

指輪の上に、仄かに光を放つ小さくも美しい結晶の花が咲いていた。


それは、指輪がビーカーの底へ沈むまでの間に完成していた。




指輪を液体から引き上げ、丁寧に水気を取って乾燥させてから、そっと日に透かすと半透明の結晶で出来た花弁が美しく光を通す。

「及第点、と言ったところじゃないか」

完成した指輪は結晶の花の中に仄かに光を宿している。

男の言葉に、少女はほっとしたようだった。

「魔力制御と運用制御は事前練習できたし。なんとかね」

「お前がこの手の仕事を引き受けるとは意外だったがな」

「……う……。私にはまだ早いって言いたいんでしょ。悪かったわよ、手伝ってもらって」

少々準備に時間がかかる魔法を、少女が『特急の仕事』として引き受けたのには当然だが理由があった。

だが、その理由を小麦色の髪の少女は黒い服の男に伝えてはいない。”魔法使い”が依頼人の事を喋る訳にはいかないからだ。

飾り気のない古い指輪を見せられて、男もなにも聞かなかった。

ただ、古くとも大事にされてきたであろうそのくすんだ指輪の内側に、浅く掘られた消えかけの文字が少女に背伸びをさせたのだろうと内心で推測した程度だろうか。

「封じたのは《善き旅路の魔法》、か。久しぶりに見たな」

「迷子にならないようにって言う、旅の護符。私の魔法じゃ、お守りぐらいの効果しかなさそうだけど」

「まぁ、《夜の霧の道》でも足元を照らすには十分だろう」

男の言葉に、そうだと良いんだけれど、と少女は呟いた。

再度その指輪を日に透かして、それから依頼人を思い出し、少しだけ微笑む。


「良い旅路になりますように……」








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