冬を運ぶものと赤い葉の話。




「ほら、こんなに大きいの! 美味しそうじゃない?」

落ち葉の隙間から大きな毬栗をそっと拾い上げて、小麦色の髪の少女は満足そうに振り返った。

そのまま手さげの籠の中へ毬栗をほおりこむ。

エンジ色のスカートというのはいつもの姿なのだが、その籠といい、フードの付いたポンチョといい、その外見は何処か童話の主人公のようにも見える。……本来、年相応と言えばその通りの格好ではあるのだが。

「……。……」

残念ながら後をついているのは狼の類では無く、黒い服の男である。少女の倍とまではいかないが、年の離れた二人組ではある。申し訳程度にマフラーを撒いてい入るのだが、影のような色味は変わらない。

可もなく不可も無く、小さく肩をすくめて返す程度の反応なのだが、少女にとっては気にならないらしく、次々に毬栗を拾っていく。

「これだけあれば美味しいマロングラッセがたくさんできるわ」

時折、ひらりと葉の落ちる落葉樹の森は白曜山脈まで延々とのどかに続いているように見える。

実際は”黒の森”や”宵月渓谷”など物騒な難所も数多いのだが、今ではわざわざ白曜山脈を自分の足で踏破しようと言うのは一部の山岳趣味人ぐらいだろう。

そして冬は白曜山脈の向こうからやってくる。


「豊作ね」

籠に入った毬栗をを見て、満足したらしい。少女が森を見回した。

栗だけでは無い。胡桃やドングリの類も今年は豊作だ。足の下のふかふかとした落葉の感覚も、今年の森が豊かであった事を教えている。森が豊かであれば森の生き物たちと人は良い距離を保つことができる、と学院の教師の誰かも言っていたはずだ。

「そうだな」

「去年の冬は長かったじゃない? 今年はいつもと同じぐらいになるといいけれど」

すでに山頂が白い山脈を見て少女が囁くように言った。

雲の少ない秋晴れの空に、紅葉の赤と遠くの白い山脈はいかにも映えている。

「ねぇ、葉っぱの結晶って、作り方知っている?」

毬栗の入った籠の中から、いつの間にかにまぎれ混んだ赤い楓の葉を取り出しながら少女が男を見た。

「葉の結晶?」

「師匠の研究室にあったでしょ? いろんな植物が結晶化したヤツよ」

「……ああ」

少女に言われて男も思いあたった。保護の魔法に守られたキャビネットにならんでいたのは古い時代につくられた植物の標本だ。たしかに、一見すると植物がそのまま結晶化したようにも見えるだろうか。

とくに小麦色の髪の少女の師匠に当る人物は職業柄もあり、集めた標本はちょっとしたコレクションになっている。

「アレは古い時代の植物標本だぞ。植物を魔法で固定化するというか、魔法を固定化したというか…」

「固定?」

「古代植物に多く見られた内包魔法量を外部から……」

眉をひそめて首をかしげる少女に言葉を止めて男は苦笑した。

「概念の話は良いか」

「う…」

男が少女の手にあった楓の葉を取り、軽く両手で包みこんでからそっと手を開くとそこには少女の言う”結晶化した植物”が現れる。そのまま軽く指先で摘まんで見せると、秋の空に硝子細工の様な赤い楓の葉が金色に光を通した。

流れるような自然な魔法に一瞬何が起こったのか見落としかける。

「圧縮と……硬化の魔法?」

それでも少女には、そよ風が頬をなでた様に魔法が通り過ぎていった感覚が残っていた。

「それに透過の魔法だ。バランスが取れれば難しい魔法じゃない」

少女の”答え”に満足したらしい男は造ったばかりの硝子の様な楓の標本をくしゃりと握りこみ、あっさりと粉々になった赤い硝子粒子を払った。くだけた結晶はキラキラと輝いて空気に溶けこんでゆく。

「結晶化した標本はくだけばこの通り。魔法が破られれば結晶化した標本は魔法と一緒に大気に溶ける訳だ」

「じゃぁ、師匠のキャビネットにあるのって…貴重品?」

「古い時代の物は固定化が強いから、こんなに簡単に壊れる事はないが…まぁ、希少価値は高いものが多いだろうな」

「……気をつけなきゃ……」

なかには、下手をすれば数年は遊んで暮らしていけるような値段が付く物もあるのだが(星霜時代の原種に近いスイギンミツバの花で作られた花冠をそのまま結晶標本化したものがそれだ)、それに関して、彼女の師匠に当る人物は「私にとっては美しい研究対象だもの」と笑っていた事を黒い服の男は知っている。

「不注意で壊すぐらいならコレクターにでも売った方が良いだろうが…保護の魔法もかけてある。滅多なことにはならないだろうよ」

少女の魔法の腕を考えれば、あのキャビネットの保護の魔法を解く事ができるのはもうしばらく先のことだろう。

足元の落ち葉を一枚拾い上げ、男はもう一度ゆっくりと両手で包んで見せる。無言のままではあるが、今度はゆっくりと、バランス良く魔法を重ねていく。再び手を開くと、改めて赤い紅葉の色をそのままにした葉の結晶が現れた。

「……。」

その様子を食い入るように見ていた少女が、おもむろに足元の楓を一枚拾い上げた。

「……私にも、できそう」

「まぁ、お前さんの苦手な魔法制御の練習ぐらいには、なるかもしれないな」

「もう!」

男の言い分に憤慨しながらも少女は手のひらに楓をのせた。

黒い服の男なりに、何かを教えようとはしているのだと少女は知っている。しかし、如何せん、言葉と態度がまるで足りていない上に『教え方』に関しては参考書を自力で読み解く方が、まだマシという『目の前で実践する』しかまともな教え方を知らない男でもある。

「ほんと…」

変なところが不器用なのよね、と言葉を呑みこんで、少女は今見たばかりの初級魔法を実践し始めた。



「どうして魔法街で見かけないのかしら?」

何度か試し、成功率が三割ぐらいになった所でふと少女が思い出したように首をかしげた。

「何が?」

「この、結晶の標本よ。難しい魔法じゃないじゃない? 私でも比較的すぐ作れる訳だし」

見事に半分だけ結晶化した楓の落ち葉をぺちんと手のひらで叩くと、案の定半分だけが粉々に砕け、空気に溶けてゆく。

「元々は薬になる植物を固定化して研究するための技術だったとは言われているが…今となっては固定化してまで研究するほど薬効の期待できる植物もなかなか見つからないだろう。所有者に利をもたらす魔法でも無い」

「ふぅん……」

新たな葉を拾いあげながら少女が男を見た。

「何だよ」

「でも、コレクターは居るって言っていたじゃない。それって芸術品としてってことでしょ?」

確かに少女の師匠のコレクションは”美しい”物が多い。

「……その一面はある」

「だったら、そーゆーのを専門につくる芸術肌の魔法使いとか居てもよさそうなのに」

くるくると楓の葉を回転させる少女の言い分に男は苦笑を返した。

「居ないことは無いと思うが、労力が少ない分値段がつかない、というのが実際のところじゃないか」

「そうなの?」

「値段が付くのはやはりオールドコレクションの類だ」

ただし、と黒い服の男は笑った。

「変質結晶の場合は事情が変わるな」

「へんしつ?」

小麦色の髪の少女が新たな言葉に首をかしげる前に男が空を見上げた。

そのままゆっくりと片手だけを空へ向ける。

ふ、と辺りの空気が変わったことに少女は気が付いた。ほとんど同時に”それ”が”何”かを直感のように理解した。

碧い空のまま、回りの空気だけがゆっくりと円を描くように動いている。

「……これって……」

「霜の上を駆ける者、夜霧の中で囁く者、とも呼ばれる」

「それって冬を呼ぶ者……って、ちょっと! 集中してよ!」

御丁寧に説明を挟む男に少女の方が声を荒げた。失敗して無事で済む魔法ではない事は確かだ。

「それでは期待に応えて」

「いいから!!!」

神でも精霊でも人でもない存在を人間が『上位存在』と呼ぶようになったのは数百年ほど前からだったらしい。

精霊研究によっては『上位精霊』『精霊王』と呼ぶ研究者もいる。どちらにせよ世界に対して神ほど厳密でも無関心でもなく、精霊ほど曖昧でも爛漫でも無く、人間ほど無謀でも浅はかでもない。人とは魔法によって”ほんの少し”意思疎通の可能な”存在”だ。

円を描く様な空気の流れがゆっくりと速度を上げる。男の指先が何かを示すように動いたが、少女には理解が及ばない何かだと言う事しか分からなかった。それから、微かに口元が動いたようにも見えたが聞こえる訳もなく、理解などさらにできない。

円を描いて流れた空気が辺りの落ち葉を撒きこんで勢いよく空へ舞い上がり、次の瞬間、凍りつくような空気が弾けた。

「……くしゅん!」

一瞬の凍りつくような空気に思わず少女が小さくくしゃみをした。

息が白くなり、髪の先だけが霜が降りたように白く凍りつく。

舞い上がった落ち葉がはらはらと舞い降り、一瞬の寒風はまるで夢のように元の秋の穏やかな空気に混じってしまった。

それと同時に微かに凍りついた髪の先もすぐに溶け、多少湿気を吸って重く感じる程度だろうか。それもすぐに乾いてしまうだろう。

「いきなり、大きい魔法はやめてくれる? 驚くじゃない!」

何の前触れもなく息するように高位魔法を使った男に、流石に少女は声を荒げた。

この場合は、一般常識からいっても少女の方が完全に正しい言い分である。

街中で同じことをすれば、魔法街の魔法使い達が揃って蒼い顔をして抗議に駆けつける程度には少女の言い分は正しい。

「……」

無言の男の返答の代わりのように、舞い散る落ち葉の中から、空へ伸ばした男の片手にひとひら結晶がたどり着く。

そっと結晶を手にし、黒い服の男は満足げに少女に渡した。

大きな魔法を使ったにもかかわらず、結晶化した葉は一枚だけだ。それは仄かに光を発しているようにも見える、白銀の楓の葉だった。

紅葉した楓の葉から、色を綺麗に抜いて結晶化したかのようにも見えるが、ひんやりとした光沢と硬い蒼銀の煌めきが通常の結晶標本でないことを示していた。

触れていると氷の様に冷たいが、それが辛くなるような事はない。

「冬を呼ぶ者の変質結晶だから冷たいのね」

「御明察」

「不思議な感じ……」

とても綺麗、と少女は感じた。

「護符や魔法石のような所有者に利がある物ではないが。……お前にやる」

「え?」

男は小さく肩をすくめて両手をポケットへ入れた。これ以上は魔法も、栗拾いもするつもりはないらしい。

「俺が持っていても価値が無いからな」

「私が持っていると何か…あるの?」

小麦色の髪の少女を、どうしたものかと困惑気味に男は見降ろし、それから空を見上げた。

「かわりにマロングラッセが俺にやってくるかもしれない」

三度、瞬きをするまで、少女には男の意図がまるでわからなかった。

「……。……え!?」

すい、と黒い服の男が歩き出すのを、小麦色の髪の少女はあわてて追いかける。

もちろん、山ほどの毬栗の入った籠を持って、だ。

「アンタ、実は結構お菓子好きとか?」

「魔法を使った後に甘い物を口にするのは疲労回復に効果的なんだぞ」

「それは屁理屈じゃないの!?」

「そんなことはない」

「じゃぁ、甘栗入りの蒸しケーキとかでも良いってこと?」

「問題無い」


空は高く蒼く、本当の冬が来るには、もう少し猶予がありそうだった。