ヨルバラのつぼみとヤマネのお話。


 

 

その森の入口は、誰のすぐそばにもあるのです。

ただ、気が付くかどうかは人それぞれなのですが。


 

くらいくらい森の奥、いつもよりも少しだけ早くヨイテッセンが花ひらいた日。

最初に気がついたのは、小さなちいさな悲鳴でした。しばらくの間、ほおっておいたのですが、ぴぃぴぃと続く声に遂に灰オオカミはずいぶん久しぶりに、のそりと身体を持ちあげました。

ごそごそと住みかから出て行くと、悲鳴がぴたりと止まります。

「……ふむ?」

あたりを確認すると、ちょうど灰オオカミの住みかの周りには、たくさんのヨルバラが満開になっていました。ヨルバラは甘い匂いと時々キラキラと煌めく燐光が漂うとてもきれいな花なのですが、少しだけ棘があります。

甘いヨルバラの匂いに、ぴぃぴぃと鳴いていたナニカの匂いもわかりません。ですが、きょろきょろと辛抱強く回りを良く見まわして、ようやく灰オオカミはヨルバラの茂みに引っかかっている小さな相手を見つけました。

ヨルバラのツルの棘に引っかかっていたのは、灰オオカミの頭よりももっと小さいヤマネだったのです。

「こんなにちいさいのはずいぶん久しぶりだ」

じぃ、と目を細めたオオカミに顔を近づけられ、ヤマネは生きた心地がしませんでした。

オオカミにぱくりとされてしまえば、ヤマネはひとくち分もないのです。

「たたたた、食べてもおいしくないよぅ!」

ヤマネはじたばたと手足を振りまわしてみますが、残念ながらヨルバラのトゲが外れる様子はありません。

「食べる?」

ちたちたと手足を振るヤマネを眼を細めたまま見ながら灰オオカミは不思議そうに頭をかしげます。しばらくしてヤマネの言葉に思いあたったオオカミはおもわず吹きだしました。

「あっはっは! お前を? はっはっは!! これは楽しい!!」

「な、なんだよぅ…」

いまにもぱくりとされてしまうのではないかと思っていたヤマネは振りまわしていた手足を止めて笑っているオオカミを見ました。

「お前を食べても腹のたしにはならないな」

灰オオカミはひょい、とヤマネをヨルバラの棘から外してやります。そのままそうっと地面に下ろしてもらい、ヤマネは山のようなオオカミを見上げました。

「食べないの?」

「幸い、今は腹もへっていないんだ。それともなにかい? 尻尾の先を味見させてくれるのか?」

「だだだ、ダメだよぅ!」

ヤマネがふかふかの尻尾を大急ぎで身体に巻きつけるようすに灰オオカミはまた少しだけ笑いました。こんなに小さな相手をまじまじと見たのはいつぶりでしょう? ずいぶん久しぶりです。

「どうしてこんなところに居るんだ? 野ネズミやリスたちの森からはずいぶん離れているのに。迷子でもなさそうだ」

「帰り路はわかるよ! ヨルバラを採りにきたんだよ!」

「ヨルバラを?」

灰オオカミは改めて自分の住みかの回りを見ます。

キラキラと煌めく小さな光が、夜の色をしたバラの花びらの縁で小さくはじけました。

「そうだよ。知らないの? ヨルバラにはさ、すごーく珍しいバラの蜜が少しだけあるんだよ。それもすごーく良い香りで、おいしいんだ」

「……蜜の事など初めて聞いた」

「舐めてみたことないのかい?」

「良い香りがするというのはわかるが、この時期はこの匂いで鼻が利かなくなるから寝ているばかりだな」

「えぇ! もったいない!」

「お前が「少し」というのだから、本当に少しだけなのだろうし、この身体で舐めてもたぶんわからないだろう?」

ヤマネの言葉に、どことなく楽しそうに灰オオカミは答えました。ずいぶん長いあいだ独りでいた灰オオカミは、誰かとこんなに普通に話をしたのもずいぶん久しぶりだったのです。

「それもそうか。残念だなぁ、こんなにたくさんヨルバラが咲いているのに」

本当に残念そうにヤマネは灰オオカミを見上げて、それからヨルバラの茂みを見上げます。

「お前は花と蜜を持って帰りたいのか?」

「妹にね」

灰オオカミの質問に、ヤマネは少しだけしょんぼりしたように答えました。

「本当は誕生日までに持って帰りたかったけれど、それには間に合わないから。せめてたくさん蜜を採って帰ろうと思ったんだよ」

ヨルバラからヨルバラへと飛び移ろうとした時に足を滑らせてしまったのでしょう。

地面には落ちずにすみましたが、ツルの棘に引っかかってしまった、というのが悲鳴の理由のようです。

「なるほど」

灰オオカミは、ひょい、とヤマネを持ち上げると自分の頭の上にのせました。

そのままヨルバラの茂みの上へと頭を上げます。

「これなら届くか?」

あやうく灰オオカミの頭からころがりそうになったヤマネですが、なんとか大きな耳につかまって転がり落ちずに顔を上げました。そこにはキラキラと煌めく燐光がたくさん漂っているヨルバラが一面に咲いています。そんな中に、今にも咲きそうな大きなつぼみがありました。たっぶり蜜がある、大きなヨルバラが咲くにちがいありません。

「いいの?」

「顔がチクチクするから早くしてくれ」

灰オオカミの言葉にヤマネはあわててつぼみのヨルバラを摘みます。

「甘い匂いがする。良い花があったようだな」

頭の上のヤマネに灰オオカミが楽しげに笑いかけました。

その時にヤマネは灰オオカミの瞳がどこも見ていないのに気がつきました。

「もしかして、眼が悪いの?」

「うん? ああ、ほんの少しな」

「すこし?」

「ほんの少し見える。だから、そんなに不便でもないんだ」

「ずっとなの?」

「ずっとだな。昔、ここに竜が居たころからだ」

けろりと灰オオカミは答えます。でもヤマネは「りゅう」なんて生き物はきいたことがありません。

なんだか「りゅう」は特別な生き物のような気がして、ヤマネはふぅん、と小さくあいずちをうつだけにしました。


「さて、お前さんの森はどっちだ? 近くまで送ってやろう」

頭の上のヤマネに灰オオカミはいい気分で言いました。

ヤマネの家のある森にオオカミが現れたらそれはもう、大事件なんていうものではないはずです。大騒ぎになるにちがいありません。そのことに気がついてヤマネはぶるぶると首をふりました。

「一人で帰れるよ!」

「安心していい。十分はなれた所でお前をおろすよ」

大騒ぎも少し見てみたいけれど、と、おっかないことを灰オオカミが呟きましたが、本気ではないようです。

「それなら……大丈夫かな?」

頭の上でしっかりとヨルバラのつぼみを抱えながらヤマネは森の方向を灰オオカミに教えました。

オオカミの足なら妹の誕生日にも間に合うかもしれません。

「お前さんや森のことを聞かせてくれないか?」

ずいぶん長いあいだ独りでいたらしいから、とヤマネに聞きながら灰オオカミは軽やかに駆けだしました。




やがてヤマネは灰オオカミと「りゅう」とヨルバラのことを巡る小さな事件に巻き込まれるのですが、それはまた、別のおはなし。